さかのぼり日本史 戦国 富と野望の外交戦略 第1回「家康 親善外交への大転換」

さかのぼり日本史 戦国 富と野望の外交戦略 第1回 家康 親善外交への大転換

朱印船貿易で大きな資金を得た家康

解説者
村井章介

キャスター
石澤典夫

内容
グローバル化が加速する現代、工業製品から服飾、芸能にいたるまで多くの日本企業が、成長と生き残りを懸けて海外市場へと進出している。
実は戦国時代、国内で覇権争いを繰り広げていた戦国大名たちも積極的に国際貿易に乗り出し、独自の外交を行なっていた。
戦国大名たちは貿易や外交を掌握することで、いかに天下統一を果たしたのか。
諸外国から孤立する中、周辺諸国との国交回復に力を入れ、親善外交を展開した家康から、明にかわって日本が核となる朝貢貿易を構想し、強硬外交で諸外国を従えようとした秀吉、南蛮貿易による貿易の利で軍事力の強化を図ろうとした西国の大名たちへと時代をさかのぼることで、戦国大名たちの生き残りをかけた外交・貿易戦略を探る。

家康が政治の表舞台に登場した頃、日本は秀吉の朝鮮出兵による警戒感から東アジア諸国から関係を断たれ孤立を深めていた。
対外貿易ができなくなったことで国内の経済は荒廃していた。
そこで家康は秀吉の没後すぐから関係が悪化していた国々に使者を派遣し、国交回復に尽力。親善関係を結んだ。
さらに安定した交易関係樹立のため、海賊の取締りを強化、家康の朱印を捺した「朱印状」を受けた船だけを正規の貿易船と認めて保護し、活発な貿易を推進した。
朱印状は約30年間に300通以上発行され、アユタヤ、プノンペン、マニラなど主要な交易都市には数百~千人単位の日本人町が形成された。
朱印船貿易は家康の大きな資金源となり、その後、大阪の陣で豊臣家を滅ぼすと家康は名実ともに天下人となっていく。

関連記事
更新順
ドキュメンタリー・カルチャー・教養